週末の過ごし方
日本庭園の歴史を引き受けた
ラグジュアリーホテルの勇気
【センスの因数分解】
2022.01.28
〝智に働けば角が立つ〟と漱石先生は言うけれど、智や知がなければこの世は空虚。いま知っておきたいアレコレをちょっと知的に因数分解。
有史以来、日本庭園は建築にとどまらず、文化という点においても、重要な役割を果たしてきました。皇族にはじまり、藤原家や源氏に足利氏など、権力者の命によりいくつもの名庭園が生まれてきました。
そんな日本庭園が最も多く存在する地といえば、やはり京都です。歴代の名師に依頼した美しい景色は、観光客が訪れ目にできるところも少なくありません。
京都を代表する職人の手によって、新しい日本の庭が誕生しました。場所は清水寺もほど近い東山地区。パーク ハイアット 京都(以下PHK)の敷地内です。
パーク ハイアットといえば、世界で知られるスモールラグジュアリーホテルのブランド。PHKはその中でもわずか70室という最小規模の客室数で、2019年に開業しました。「叡心庭(えいしんてい)」と名づけられた件(くだん)の日本庭園はこのホテルのアプローチにあり、PHKを訪れるすべての人が目にします。ホテルのもうひとつの“顔”といった存在なのです。
この庭を手がけたのが、北山安夫さん。豊臣秀吉の菩提寺である高台寺の庭園復活や、京都最古の禅寺・建仁寺の庭を手がけたことでも知られる、日本を代表する作庭家です。
日本を代表する造り手に、世界的ラグジュアリーホテルブランドの開発事業者が作庭を依頼。ユニークな話題ですが、言うは易やすし。実際はそう簡単なものではなかったでしょう。北山さんが語る庭造りは、私たちが考える“庭”の範疇(はんちゅう)を遥かに超えていました。
「庭というのは、祈りと一緒なんです。敬愛の念を持てばそれに応えてくれます。また庭は植物の営みの場でもあります。それを人間が過度にコントロールすることはできません。現代の風潮だと、すぐに成果を求めてしまいますが、それでは安直すぎる。庭が本当の意味で出来上がるまでは、30年から50年という歳月を見据えなくてはいけないのです」と北山さんは語ります。
30年から50年後の完成というと、自分はこの世にもういないかもしれない。しかしそうであってもしっかりとビジョンを描き、いまは目に見えないものを作り上げていかなくてはいけない……。その作業には、言葉では説明しきれない部分もあるのでしょう。可視化という言葉がよく聞かれるようになって久しいですが、見えないビジョンを抱きながらの困難な作庭を経て、叡心庭は生まれました。