特別インタビュー
静かな演劇と称される戯曲『海と日傘』に挑む、俳優の大野拓朗。
演技派を志す彼の軌跡と、36歳の現在地とは?
2025.07.10

7月9日(水)から21日(月・祝)まで、すみだパークシアター倉で戯曲『海と日傘』が上演されている。主演を務めるのは、俳優の大野拓朗だ。
大野の経歴を簡単におさらいすると、大学在学中の2010年にホリプロとメンズノンノが共同で行った新人俳優オーディションでグランプリを受賞。それをきっかけに芸能界入りし、およそ1カ月後には映画『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』の撮影がスタート。同作品で俳優デビューを果たす。以来、15年にわたり、映画をはじめ、テレビドラマ、舞台、コンサート、ラジオ、ファッションモデルなど幅広いジャンルで活躍を続けてきた。
大野は子役の経験があるわけでも俳優を目指していたわけでもない。学生の頃はスポーツ選手のメディカルトレーナーを志し、スポーツウエルネスを学んでいたという。
「俳優の仕事はテレビの向こう側の世界だと思っていたので、まさか自分がなるとは全く想像していませんでした」そう話す大野。
芝居は小学校での学芸会以来だったため、とにかく楽しかったと俳優を始めた当時を振り返る。
「最初はまるでスポーツをするときのように、できなかったことができるようになっていくことがおもしろくて、芝居にハマりました」
デビュー翌日から途切れることなく仕事が続いたため、演技のレッスンを受けることもままならず、現場で監督やほかの共演者に必死に食らいつきながら、俳優として研鑽を積んでいった。

俳優の仕事は身ひとつで行い、良くも悪くも本人が評価されるため、所属する事務所の仕事としてこなすというよりは、個人で仕事をしているように感じていた大野。
「だからこそ、ひとつひとつの仕事に対して一回でも失敗したら次がないぞというプレッシャーや責任感を強く感じながら、与えていただいた仕事を120点とか150点で返せるように常に全力で取り組んでいました」
事務所からは、仕事の現場では座ってはならない、携帯電話を触ってはならないと指導を受け、最初の3年間は、その教えをしっかりと守っていた。
「体育会系出身だったので現場での立ち居振る舞いは得意だったんです」
そう話す大野だが、演技では簡単なことも思うようにできなかった。
「最初はご飯を食べたり飲みものを飲みながらセリフをしゃべることが難しかったですね。普段は自然にできるのに、いざ演技となると話すタイミングがわからなくて。なかなかうまくいかなかったんです」
俳優として悪戦苦闘する日々のなかで大きな出来事となったのは、2013年の舞台『ヴェニスの商人』における演出家・蜷川幸雄との出会いだった。

テレビドラマや映画の場合は、ひとつのシーンを多くても5回程度演じたら終了するのに対して、舞台の場合は何百回も練習し、さらに本番の公演が何十回と行われることもある。その過程で理解を深めながら、ひとつひとつの芝居の精度を上げていくのが舞台のやり方だと大野は話す。
「その過程を、蜷川さんから愛のムチをたくさんいただきながら、キチンとこなせたことは良い修業になりましたし、演技力が一気に成長したと感じられる良い経験にもなりました」
大野は、蜷川から「おまえは安物のケーキか!」と言われたことが、今でも強く印象に残っている。
「言われた直後は、意味がわからなかったので、ほかの役者さんに“あれってどういう意味だったんでしょうか?”と聞いたら、“たぶん外見はキレイに整っているけど、中身が伴ってないってことだと思うよ”と言われました。それが今になって、すごくいい言葉だったんだなとあらためて実感しています。というのも、これまで15年もの間、見た目も大きな武器にしてスターになるんだと思って俳優業に取り組んできましたが、最近になって自分の心が求めていたのはその方向ではなかったと気づいたんです。本当になりたかったのは、プロフェッショナルとして演技力を褒めてもらえる職人のような役者だったんだって」

大野は2023年11月から2024年2月まで、ロンドンで上演されたミュージカル『太平洋序曲(Pacific Overtures)』に出演。そのときの経験も意識の変化に大きく影響している。
「欧米の役者のなかにアジア系の役者として入ったときに、日本とは違って見た目の優位性が失われたんですね。じゃあ、そのなかでどう立ち向かっていくのかと考えたら、やはり中身でしかなくて。芝居の技術や人間性がより重要だと実感したんです。同時に特に芝居であれば、演技のトレーニングを積んでいけば自分でも通用するし、負けないという手応えも感じました」
そして、ロンドンから帰国後は、よりプロフェッショナルな役者になるべく、自分にとって足りない技術を伸ばしてくれる作品や、自分を成長させてくれる仕事を積極的に選ぶようになった。
今回の『海と日傘』も、まさに今の大野が挑むべき作品だ。ミュージカルや映画とは違い、セリフに重点を置いて演じられるストレートプレイ。俳優としての技量が試される作品になっている。
描かれるのは、長崎の夏を舞台にしたひと組の夫婦の物語。大野が演じるのは、教師であり、私小説家の主人公・佐伯洋二だ。余命3カ月を宣告された妻・直子を南沢奈央が演じる。
「静かな演劇とも称されている作品で、なにげない日常会話を軸に物事が進んでいく。リアルに近い芝居です。松田正隆さんが書かれたセリフの言葉がすごく美しくて、ひとつひとつのセリフの裏には別の意味や思惑が隠されていたり、伝えたいのに伝わらないさりげない気遣いがなされていたり。みなさんの想像力を掻き立てる作品になっています。静かにストーリーが展開していくからこそ、じわじわと引き込まれ、心にも響くものがあると思います。見てくださる方々の人生経験やその時の状況によって受け取り方が変わると思いますので、一緒に観られる方がいらっしゃれば、鑑賞後に感想を言い合っていただけるとより深く楽しめるはずです」
俳優として目指すべき方向性が明確になった大野拓朗。舞台『海と日傘』では、以前からのファンは彼の成長にも注目し、初めて大野の芝居を観る人は、演技派俳優としての魅力をたっぷりと味わいたい。

大野拓朗(おおの・たくろう)
1988年、東京都出身。俳優。近年は活躍の場を海外にも広げている。2023年11月から24年2月にかけて、ロンドンで全編英語のミュージカル『太平洋序曲(Pacific Overtures)』に主演として参加し、3カ月のロングラン公演を成功させた。現在、舞台『海と日傘』が上演中。
https://r-plays.com/produce/umi-to-higasa/
Photograph:Hiroyuki Matsuzaki (INTO THE LIGHT)
Text:Hiroya Ishikawa