週末の過ごし方
アイビーボーイだけじゃない、希代のイラストレーターの魅力とは?
「穂積先生が教えてくれたこと」対談:綿谷 寛×早乙女道春 【前編】
2025.09.05
日本におけるファッション、カーイラストの先駆的存在であり、“アイビーボーイ”生みの親でもある穂積和夫氏。2024年11月に 94歳で逝去した同氏の作品回顧展『追悼・穂積和夫の世界展』が、9月20日(土)より南青山・Gallery 5610にて開催される。今回、展覧会の実行委員であり、かつて穂積氏のアシスタントとして薫陶を受けた2人のイラストレーター、綿谷 寛氏と早乙女道春氏による対談が実現。大田区にある綿谷氏のご自宅で、穂積氏とも親交の深かった小誌・藤岡信吾を交え展覧会の見どころや、在りし日の思い出を語ってもらった。
——画伯(綿谷氏の愛称)はどのようにして穂積先生に出会ったのですか?
綿谷 寛(以下、綿谷):10個上の兄貴がアイビーで『メンズクラブ』(婦人画報社)を読んでいたんだよね。友達連中も全員アイビーだったから、部屋に集まってちょっと悪さをしているのをのぞき見しながら、小学2年か3年の頃に穂積先生の絵を初めて見て「かっこいいなぁ〜」って感動したのが最初。ただ、穂積先生が描いた絵だって気付いたのは後になってからだけどね。
早乙女道春(以下、早乙女):子どもの頃なんて感覚的に読んでいるからクレジットなんか気にしないじゃん。俺だってこの仕事するようになってから「自分が夢中になって読んでいた記事ってほとんど森永博志(注:1)が編集していたんだな」って気付いたから。
——早乙女さんは『絵本アイビーボーイ図鑑』(1980年 講談社刊)がきっかけですよね。
早乙女:そうだね。『アイビーボーイ』『メンクラ』『ポパイ』……。あとは粕谷(誠一郎)さんがやっていた『オールライト』(注:2)かな。高校2年くらいのときに本屋で平積みされていて、それに穂積先生のイラストが載ってた。ニューイングランドの風景だったり、学生たちのドミトリーの様子とかね。アイビーファッションでピザを食べに行くとかコカコーラを飲んでたりね。ファッションだけじゃなく、被写体のバックグラウンドや景色の大切さを教わった気がするね。
——ファッションもライフスタイルの一部ですものね。画伯はその後、どうやってご本人とご対面されたのですか?
綿谷:『メンクラ』でセツ・モードセミナー(注:3)を知ったんだよ。穂積先生とくろす(としゆき)さんが一緒に写ったアイビー・クラブ(注:4)の有名な写真があるじゃない。その座談会のなかでセツの話が出てきて、調べたら穂積先生が講師を務めているっていうから「高校を卒業したら絶対にここに行くぞ!」って。でも、実はその前にも一度お見かけしているんだ。高校生の頃にメンクラの連載「MCドキュメンタリー」の展覧会を渋谷の画廊でやっていて、先生も在廊してたんだよね。そのときはドキドキして話しかけるどころか視線も合わせられなかった。実際にセツに入学してからは、1年に1回くらい講師に来てくれるから、講義の後に自分で描いたイラストを穂積先生に見てもらったりとか。「男でファッションのイラストを描くなんて珍しいね」なんて言われて、「今度、ウチにおいでよ」ってことで縁がつながったんだよね。
——早乙女さんが穂積先生に出会ったのはいつ頃ですか?
早乙女:86年か87年にセツで出会ったのが最初だね。当時、大学に通っていたんだけど、あまり面白くなかった。みんながアイビースタイルだと思っていたのに、全然違うじゃんみたいなね。ただ、西麻布とか六本木で夜遊びしていると学校では出会わないような格好いいお兄さんやお姉さんがいて、その人たちからセツの話を聞いて、途中で編入したんだ。
穂積先生による最初の授業が『私をスキーに連れてって』(注:5)を題材に、どういう準備をして、どんなスタイルで作ったのかっていう説明をしてくれた。生徒はみんな遠慮して後ろから席が埋まるんだけど、俺は絶対に砂かぶりの特等席。「ばっかでぇ〜。いちばん前で聞くに決まってるじゃん」って(笑)。
で、ある日「いまアシスタントを募集しているから、講義終わったらロビーに来て」って聞いて。もう「これは俺しかないじゃん」って(笑)。結局、3人くらい応募したのかな。面接当日は、茶色のグレンチェックのスーツに白いボタンダウンを着て、カラシ色のペイズリー柄のタイに茶のヴァンプシューズね。で、ロールバーが入ったレース用のいすゞ ベレットで「ブォンブォン」って乗り付けて。もう完璧にプレゼンして行ったわけ。
でも、後日電話がかかってきてまさかの不採用。もう3日くらい寝込んだもんね。親が心配するくらい。
ただ、その後に綿谷さんママ(画伯の奥様)が出産で里帰りすることになって、セツの先生経由で「綿谷さんを手伝ってくれないか?」って打診があったんだ。「もちろん行きます」って即答だよ。当時、綿谷さんは全然寝ないで仕事するからビックリしたよ。でも、50年代の『エスクァイア』とかレコードジャケットでしか見たことのないデヴィッド・ストーン・マーティン(注:6)の作品集とかあってさ。もう興奮して「これコピーしても良いですか?」なんつってさ。綿谷さんもコピー用紙がもったいないから「両面使えよ」って(笑)。3カ月くらい手伝ったんだけど、穂積先生が綿谷さんのところで僕が手伝いしてるって聞き付けて。「あぁ、面接のときのあいつか」って。で、二人で話し合って、月、水、金が綿谷さんのところ、火、木、土が穂積先生のアトリエに通うことに決まった。1年くらいたってからは穂積先生のところに常駐という形になったんだよね。
——穂積先生からはどんなことを教わりましたか? テクニカルなことなのか、心構えとか気持ち的な部分なのか……。
綿谷:技術的にどうこうは言われてないけど、先生が描いているところを間近に見たりできるわけだから、それはやっぱりすごく勉強になるよね。
早乙女:資料の集め方ひとつとっても勉強になったね。先生はすごく博識な人だから。東洋・西洋問わず美術史の知識が深いから、それを自然と自分の作品にも反映できる。
綿谷:とにかく常にアンテナを張っていたね。
——“アイビーボーイ”で穂積先生のことを知った方も多いと思いますが、こうして作品を並べてみると本当にいろいろと描かれていますよね。“アイビーボーイ”以外の魅力や素晴らしさを、お二人にお聞かせ願いたいです。
綿谷:穂積先生は依頼されたら、描けないって答えるのが嫌な人なんだよ。自分でも「どのジャンルを描かせても五本の指には入るんじゃないか?(笑)」なんて冗談っぽく言ってたけどね。でも、僕からしたらずいぶん謙虚だなって。5本どころか3本や2本にも入りますよって思っていたから。なんでも描けるというのは先生のすごいところだと思う。海外のうまい作家を見ると自分でも描きたくなっちゃうんだって。最初は、タッチとか作風とか模倣するんだけど、描いていくうちに元ネタを通り越して、完全に「穂積和夫」の絵になるんだよね。
早乙女:とにかく、あらゆる時代の絵描きについて知っているし、研究するんだよね。(アンリ)マティスがさぁとか、ディエゴ・ベラスケス(注:7)の作品ってどう思う?とか、ピエール・ボナール(注:8)がどうだとか、アトリエにいるとそんな話ばっかりだよ。でも穂積先生も自分の意見を押し付けたりしないから、俺の意見でも「あぁ、そうなんだ」って尊重して面白がってくれるんだよね。そんなのが楽しくてあっという間に一日が過ぎちゃうんだよ。
綿谷:絵って全くゼロから描くっていうより、何かしらヒントがあると思うんだ。穂積先生は志が高いからアンテナを広げて、うまい人の作品を見つけると「挑戦しよう」って意欲が湧くんだろうね。あと、イラストももちろんだけど、文字の入れ方やレイアウトにもすごくこだわりを持っていた。
——われわれ編集者の立場からすると、穂積先生のようなイラストレーターはお任せすればページが完成するような、本当にありがたい存在でしたね。
注:1 創刊当初の『ポパイ』『月刊プレイボーイ』『ブルータス』などで特集記事を担当していた編集者。『原宿ゴールドラッシュ』や『ドロップアウトのえらいひと』など著書多数。2025年没。
注:2 1983年〜84年にかけてCBSソニー出版から発行された月刊ファッション誌。
注:3 イラストレーター、エッセイスト、映画評論家として活躍した長沢 節氏が学長を務めた東京・新宿の美術学校。穂積氏も東北大学工学部を卒業後、同校で絵画を学んだ。
注:4 服飾評論家のくろすとしゆき氏が穂積和夫氏ら友人たちと結成した愛好団体。アイビースタイルの研究や啓蒙を目的に活動した。
注:5 原田知世主演による1987年公開の映画。キービジュアルのイラストを穂積和夫氏が手がけている。
注:6 老舗ジャズレーベル「ヴァーヴ・レコード」のジャケットなどを数多く手がけたアメリカのイラストレーター。
注:7 17世紀スペインのバロック時代を代表する画家。
注:8 19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したフランスの画家。「ナビ派」と呼ばれる前衛的芸術グループに所属。
綿谷 寛(わたたに・ひろし)
1957年、東京生まれ。小学3年生でおしゃれに目覚め、イラストを描きはじめる。1979年、セツ・モードセミナー在学中に雑誌『ポパイ』でデビュー。メンズファッション誌を中心に連載多数。雑誌『アエラスタイルマガジン』では、藤岡編集長を伴い、全国各地を旅するイラストルポ「綿谷画伯の⚪︎⚪︎珍道中。」が好評連載中。愛称は“画伯”。
早乙女道春(さおとめ・みちはる)
1966年、東京生まれ。セツ・モードセミナーで絵画を学び、1989年より穂積和夫氏に師事。綿谷 寛氏のアシスタントを経て、1992年に独立すると『ブルータス』『ポパイ』『エスクァイア日本版』『翼の王国』などの雑誌をはじめ、数々のレコードジャケットや書籍に作品を提供。2025年7月17日(木)から9月15日(月)まで、自由が丘・trafficにて個展「Magic Drawings」を開催する。
追悼・穂積和夫の世界展
会期::2025年9月20日(土)〜9月26日(金)
時間:午前11時〜午後6時まで。
※最終日9月26日(金)午後4時終了
会場:Gallery 5610
東京都港区南青山5-6-10 5610番館
入場料:無料
www.deska.jp/upcoming/10963.html
Photograph: Hiroyuki Matsuzaki(INTO THE LIGHT)
Text:Tetsuya Sato