週末の過ごし方
必見! ファッションイラストの第一人者、故・穂積和夫氏の回顧展
「穂積先生が教えてくれたこと」対談:綿谷 寛×早乙女道春 【後編】
2025.09.10
2024年11月に亡くなった、イラストレーター 穂積和夫氏の回顧展が9月20日(土)より開催される。今回、同展の実行委員であり、かつて穂積氏のアシスタントを務めていた綿谷 寛氏と早乙女道春氏による兄弟弟子対談が実現(進行は小誌・藤岡信吾が担当)。穂積氏との出会いを中心にうかがった前編に続き、後編では二人が圧倒されたという超絶技巧の作品を眺めながら、穂積氏のパーソナルな一面にも迫った。
——お二人が好きな穂積先生の作品はどれですか?
綿谷 寛(以下、綿谷):(ペンで描いたモノクロのランドスケープ作品をいくつか取り出して)この間、預かった作品なんだけど、これがすごい! だって、ホワイト修正を一カ所もしてないんだよ。普通、最後にホワイトで抜けばいいやと思うけど、ビックリしたもん。先生が50歳前後のときに凝っていた作品群なんだけど、白く空ける部分も全部途中でペンを止めてるの。こんなの神技だよ。線が一切震えてないんだよね。ただ、思うがまま描いているんじゃなくて筆致が理屈にかなっているんだ。岩の陰影とか川の流れとかさ。こんなの俺だったら下書きの時点で嫌になっちゃうよ(笑)。
早乙女道春(以下、早乙女):これは本当にすごいね。光と影の関係や対象物の奥行き感をペンだけで表現しているんだもん。
綿谷:だからさ、“アイビーボーイ”しか知らない人にもぜひ見てほしいよね。かなり昔、穂積先生にバーニー・フュークス(注:1)の絵を見せられて「どう思う?」って聞かれたことあったわけ。「うまいですね」とは言ったものの、当時はあまり良さがよくわかんなかったの。そしたら穂積先生が「この絵描きが好きなんだけど、俺の2歳下なのよ。2個下のくせに度肝抜かれちゃってさ!」って本気で悔しがっていたからね(笑)。バーニー・フュークスは、当時アメリカでは一番の画家なんだけど、それに影響を受けた穂積先生の作品がいくつかあるから、今回の展覧会にも飾ろうと思っているんだ。あと、穂積先生はアルベール・マルケ(注:2)も好きだったんだよね。(マルケの作品を眺めながら)こうやって見ると先生が描きそうなタッチではあるよね。
早乙女:マルケ最高! マルケって精緻に描くわけではないけど、人間が動いているのがわかるんだよね。俺の友達なんて線のつぶれた人物を見て、「鼻くそがついているかと思った」なんて言ってったけど(笑)。穂積先生のすごさのひとつが、バーニー・フュークスとマルケっていう、対極を知っていてどちらも理解できるんだよね。自分の主戦場はバーニー・フュークス側だとしても、こっち(マルケ)もしっかり見ているっていうかさ。
綿谷:見えているし、実際に両方描けるんだよね。先生が旅行から帰った後とかに、風景画を描いていたのを覚えているけど、同じ人が描いた作品とは思えない。普通、興味の対象ってある程度偏るし、作風なんて一方だけになっちゃうと思うんだけど、全然違う作品をこのクオリティで描くんだからね。これでもほんの一部。だからこそいろいろな人に先生の作品を見てもらいたいんだよね。
早乙女:世に出てる先生の作品で俺が好きなのは、これ(書籍『HOW TO DRAW CARS 自動車のイラストレーション』[注:3])かな。
綿谷:これは名作だよね。
早乙女:もう走ってくる感じとかエンジン音とかガソリンの匂いとかさ、イラストから全部浮かび上がってくるじゃん。
——そんな作品が数多く並ぶ展覧会、準備はいかがですか?
綿谷:作品選びはだいたい終わって、いまは額装している段階かな。あとは展示をどうやって行うかとかね。とにかく作品がいっぱいありすぎるから。
早乙女:全部は展示できないし、実際に飾ってみないとわからないからね。とにかく “アイビーボーイ”っていうのは先生のほんの一部でしかないってことに、みんなきっとビックリすると思うよ。
綿谷:いまはイラストもデジタル時代じゃない? だから手描きでここまで描き上げられることはもうないからね。20世紀のイラストレーターのすごさを感じ取ってもらえるんじゃないかな。デジタルをプリントして額装するのとは違って、原画を観る価値が絶対にあると思う。ほかにも、舞妓さんを描いた大判の油絵なんかも展示すると思うよ。
早乙女:原画の説得力たるやすごいものがあるよ。音とか空気感が伝わるというかさ。ペン画の冬山とかさ、こんなふうにはとても描けないよ、俺だったらマルケじゃないけど鼻くそにしちゃうもんね(笑)。しかし、どうやって書いたんだろうね?
綿谷:普通これだけ細かくたくさんの線を引いたら重なっちゃうと思うんだよね。
早乙女:だから今回、綿谷さんと展覧会用に作品をセレクトしていていちばんびっくりしたのが、このシリーズ。リキテックスの「MCドキュメンタリー」シリーズ(『メンズクラブ』連載)ももちろんすごいけど、このランドスケープはもはや狂気すら感じるよ。
綿谷:普通これだけのもの描けるなら、これ一本の作家になるよね。でも全然違う作風で描きつづけているから。突然「これもう飽きたからやめるわ」なんてこともよくあったしね(笑)。
——とても“軽やか”な方でしたよね。
早乙女:本当にそう!
——直系のお弟子さんだからこその、穂積先生の“知られざる”エピソードなんてあったりしますか?
早乙女: 知られざるってことではないけど、先生はファッションの集まりだったり人に会いに行ったりとか、外に出掛けるのが大好きなんだ。これだけの仕事量をこなしているのに、いつもおしゃれして人前に出ていくんだよ。そんなのなかなかできなくない? 舞妓さんの絵だって、実際に京都のお茶屋に通うわけだからね。現場で体験して知識として吸収するんだよ。
綿谷:本人も「俺って遊んでいるように見せるのがうまいでしょ」って言ってたもんね。これだけの絵を描いているから、忙しくないわけないんだよ。でも世間向けには、パーティに出掛けたり、おしゃれして遊びに行ったり……って意識的に振る舞っていたんだよね。さっきの舞妓さんだって突然描き始めたわけじゃないからね。まず最初に「お座敷遊び入門」みたいな実用書を買うところからはじめているから(笑)。晩年よく言っていたのが、「外に出ないと絵が枯れてくるよ」って。家にこもっているだけじゃ駄目だって教えてくれたんだよね。
——僕もパーティで穂積先生にお会いしたときに、「こういうところでは仲間内だけで固まっていないで、いろいろな人としゃべったほうがいいんだよ」って教えていただいたことがありました。
早乙女:先生は人気者だったから。偉そうにすることもないし、他人を馬鹿にしたりもしないしね。でもアトリエに帰ってくると俺たちには「あの人、実は苦手なんだよなぁ」とかこぼすこともあったけどね(笑)。自慢話ばっかりする人や無粋な振る舞いをする人が嫌いだったんだよね。穂積先生が尊敬していた長沢先生も、役職とか立場によって人を判断するとか一切しなかったから。そういうフラットな視点で社会や人を見るというのは影響を受けたんだと思う。穂積先生自身は、東北大の建築科出身っていう超エリートだからね。だから時々はそうやって社会を見てしまうこともあったんだと思うんだ。ただ、俺が思うに、そういうときは長沢先生のことを思い出して、軸を見直して修正していったんじゃないかなぁ。
綿谷:セツ出身のイラストレーターやデザイナーはたくさんいるけど、みんなそうだもんね。穂積先生もセツじゃなくてアカデミックな美術教育受けていたら、もしかしたらまた違ったんじゃないかな。
早乙女:あと、今日は対談でこの話しようと思って来たんだけど、穂積先生が新作を描き下ろした最後の媒体は『アエラスタイルマガジン』じゃないかな?
——本当ですか? このあたりは、モノ申したい編集者がいっぱいいる気がするな(笑)。
綿谷:いや、最後だと思うよ。
早乙女:実際、先生がそうおっしゃっていたんだし。
——作品が最後かはさておき、もしかしたら最後の担当編集者の一人だったかもしれませんね。
綿谷:それはもう絶対に間違いないでしょう。
注:1 アメリカ出身の画家。イラスト、肖像画、スポーツアートなど、幅広く手がけ、1975年には史上最年少の若さで全米イラストレーション協会の殿堂入りを果たした。
注:2 19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した“フォーヴィズム(野獣主義)”の代表的画家。
注:3 1983年に出版されたモータージャーナリスト・徳大寺有恒氏によるベストセラー。本書内に掲載されたクルマのイラストは、すべて穂積和夫氏が描き下ろした。徳大寺氏の舌鋒鋭い筆致から、メーカーから写真が借りられず、急遽、全面イラストで構成されたと言われている。
綿谷 寛(わたたに・ひろし)
1957年、東京生まれ。小学3年生でおしゃれに目覚め、イラストを描きはじめる。1979年、セツ・モードセミナー在学中に雑誌『ポパイ』でデビュー。メンズファッション誌を中心に連載多数。雑誌『アエラスタイルマガジン』では、藤岡編集長を伴い、全国各地を旅するイラストルポ「綿谷画伯の⚪︎⚪︎珍道中。」が好評連載中。愛称は“画伯”。
早乙女道春(さおとめ・みちはる)
1966年、東京生まれ。セツ・モードセミナーで絵画を学び、1989年より穂積和夫氏に師事。綿谷 寛氏のアシスタントを経て、1992年に独立すると『ブルータス』『ポパイ』『エスクァイア日本版』『翼の王国』などの雑誌をはじめ、数々のレコードジャケットや書籍に作品を提供。2025年7月17日(木)から9月15日(月)まで、自由が丘・trafficにて個展「Magic Drawings」を開催する。
追悼・穂積和夫の世界展
会期::2025年9月20日(土)〜9月26日(金)
時間:午前11時〜午後6時まで。
※最終日9月26日(金)午後4時終了
会場:Gallery 5610
東京都港区南青山5-6-10 5610番館
入場料:無料
www.deska.jp/upcoming/10963.html
Photograph: Hiroyuki Matsuzaki(INTO THE LIGHT)
Text:Tetsuya Sato