紳士の雑学
世界限定900本「モルトの香水」と呼ばれるスプリングバンク
目白田中屋店主に聞くシングルモルト 第5回
2017.09.01
酒造りに携わる人々の情熱を肌で感じ、酒を愛するすべての消費者にその感動を伝えることに情熱を傾け続けている「田中屋」店主・栗林さん。シングルモルトとは何か、まず飲むべき山のモルト、海のモルト、シェリー樽(だる)で熟成した逸品を伺いながらいよいよ最終回。自身も愛してやまないシングルモルトは、味も造り手も超一流だ。
伝統を守り続ける希少な蒸留所
「スペイサイド、アイラ島に加えて、もうひとつ蒸留所の聖地として覚えてほしいのは、キャンベルタウンです。スコットランド西岸に位置する、キンタイア半島の先端部、いわば、海と山の両方の特徴をもつエリアです。そこに、私が尊敬してやまない、蒸留所があります。名前は『スプリングバンク』」。
キャンベルタウンは400年以上の蒸留の歴史をもち、狭い町中に蒸留所がひしめき合うウイスキーの都だったが、20世紀初頭の米国禁酒法の影響などで、30以上の蒸留所が閉鎖されてしまった。1828年に創業したスプリングバンクは、伝統の製法にこだわり、伝統を受け継ぐことで生き残った2つの蒸留所のうちのひとつ。その象徴であるのが、床に広げた大麦を数時間おきにシャベルで攪拌(かくはん)して酸素を送り込み、発芽を促す「フロアモルティング」という手作業だ。
5~7日間かけて空気を送り込み、芽が適当な長さになったら発芽を完了させる。これは、大麦などの穀物はブドウと違い、そのままおいておいてもアルコール発酵はしないために、大麦が発芽する際に生成される酵素の働きにより糖化を行う必要があるからだ。スプリングバンクでは、このフロアモルティングを、現在でも100%自社で行うという、希有(けう)な酒造りを続けている。それがいかに希少なことであるかは、次いで自社フロアモルティングの割合が多い蒸留所の「ボウモア」でさえ、全モルトの30%しかまかなえていないということから、スプリングバンクの工程がいかに例外的かということがわかる。
「機械化が進んでいる蒸留所に比べて、7倍以上のスタッフを配していると言われますが、その人力が確実に味わいの深さに反映されているのです。その分、価格が高くなるのは当然のことです」と栗林さんも話す。
しかもその姿勢は、フロアモルティングだけではなく、ボトリングまでの、すべての工程に及んでいる。まずは蒸留の工程だが、初留、再留、そしてその一部を再度蒸留するという、全部で2.5回の蒸留を行う。そのこだわりが“モルトの香水”と言われる、他に類を見ない香り高さを生んでいる。今回ご紹介の「25年」は蒸溜所の最上位作。シェリー樽とバーボン樽で熟成した原酒をポートワイン樽でマリッジさせ、計25年もの年月をかけたのちにボトリングする。封を切れば、芳醇(ほうじゅん)な香りのなかに、スプリングバンクの特徴であるストロベリーやピート、ポートワインのアクセントが妖艶(ようえん)に漂う。口に含めば、プラム、オレンジといった果実味が広がり、続いて塩のミネラル感、さらに余韻に残るスモーキーなトーンが全体の味わいを立体的なものにしている。
「なにしろ、限定900本。日本には60本しかない貴重な品。68,000円という価格も納得のいくものです。今のご時世にこうした手間暇かけたウイスキー造りができるというのは、ひとえに、オーナーの心意気です。効率ではなく、品質のために、FOR MEではなくいかに、FOR YOUで働くことができるかどうか。酒って本当に偉大ですよね。なかでもウイスキーは、初回にお話ししたように、一人で飲んでもおいしい酒です。幸せなときにはもちろん、悲しみにもそっとより添い、癒やしてくれる。いちばん好きなシングルモルトは? と聞かれたら、私は『スプリングバンク』と答えるでしょう。そんな敬愛してやまない酒を見つけられれば、人生がぐっと豊かになるはずです」
Photograph:Hiroyuki Matsuzaki