腕時計
「腕時計、基本のキ」第3回/コンプリケーションの基礎知識(前編)
2018.04.12

建築が内部空間を有する芸術とするなら、腕時計は内部に精密機械を備えた宝飾品と言い換えられるだろう。ビジネスマンがタイバーやカフリンクス以外に身に着けられる唯一のアクセサリーと解釈する人もいる。そのせいか、日本では1990年代後半から機械式の高級時計が急速に人気を高めてきたが、それだけに歴史やメカニズム、ブランドや種類といった世界観を十分に把握していない人も少なくないのではないだろうか。いまさら気恥ずかしくて誰にも聞けない、腕時計に関する基礎知識をわかりやすく紹介していこう。
伝統的な3大複雑機構の基本を知る
現代社会における腕時計はさまざまな意味や意義を担っているが、使う側にとっては高級な玩具とも表現できる魅力がある。たとえば機械式時計を初めて購入する人の多くはクロノグラフを選ぶといわれる。これはストップウオッチを備えた腕時計だが、経過時間を計測する必要性というよりも、自分の意思で自在に針をスタート、ストップ、リセットできる操作性に惹かれるからではないだろうか。
このクロノグラフは、かつては限られた時計ブランドしか自社製造できない複雑機構、つまりコンプリケーションのひとつだった。クオーツの時代になっても、こうした機械式の複雑機構はますます発展。むしろ素材や製造技術の発達を背景として、奇想天外なコンプリケーションやオートマタ(機械仕掛けの自動人形)を思わせるロマンチックな機構などが活発に開発されている。針が1本もなくディスクの回転だけで時・分を表示したり、液体の動きで時間の経過を見せる画期的なモデルもある。こうしたコンプリケーションは製造本数が少なく、それだけに価格も超高額。ダイヤモンドなどの宝飾がほとんどないにもかかわらず、数千万円から億単位のモデルも毎年発表されており、いわば人間の英知を尽くした機械式時計の「華」と表現しても過言ではないはずだ。
これらを紹介していくとキリがないので、あくまでもコンプリケーションの基礎知識として、まずは懐中時計の時代から継承されてきた伝統的な3大複雑機構を簡単に紹介しよう。
①暗い夜でも音で時間がわかる「ミニッツリピーター」
2種類の音色(低音と高音)と、その回数で時間と分を教えてくれる機構を「ミニッツリピーター」と呼ぶ。夜の明かりが乏しい17世紀後半のイギリスで発明されたが、ハンマーが鐘をたたく仕組みだったので小型化できず、置き時計として利用されていた。その後、ケースを直接たたく「トック方式」が採用されたが、1783年に鐘をリング状にして懐中時計のムーブメントを囲むように配置することで小型化したのが、他の複雑機構でも登場する希代の天才時計師、アブラアン−ルイ・ブレゲだ。
腕時計も懐中時計と基本的に同じで、時計内部に張られたリング(ゴング)を超小型のハンマーがたたくことで音を出す。時計のケースサイドにレバーがあり、これを押し上げる(または押し下げる)と専用のゼンマイが巻き上がって起動。時間、15分、分の順に音が鳴る。たとえばカンカンカン、キンカン・キンカン・キンカン、キンキンキンの場合は、カンが3回で3時。キンカンが3回なので15分×3回=45分、キンが3回なので3分。つまり3時48分を意味する。
2種類の音色だけでなく、15分のところで4種類の音色を奏でる「ウェストミンスター」と呼ばれるタイプもある。また、数は極めて少ないが、15分でなく、数えやすい10分単位でカウントする「デシマル・リピーター」というスタイルもあるなど、バリエーションはかなり幅広い。
最近では、オーデマ ピゲがアコースティックギターをモデルにした画期的な新機構「スーパーソヌリ」を開発。時計の内部ではなく下部にゴングと音響板を配置することで、音を効果的に増幅する仕組みだ。ローザンヌ工科大学と共同で人間の脳にとってどのような音色が心地よいかという解析研究を行ったことも注目できる。これまでは聴覚による人間の感性だけで評価してきた音色に、客観的なベンチマーク=基準をつくったからだ。歯車やカムを組み合わせた機械式とはいっても、このように新しいテクノロジーを導入していることが、21世紀のコンプリケーションにおける際立った特徴なのである。

②閏年の2月末も自動判別する「永久カレンダー」
「永久カレンダー」も伝統的な複雑機構であり、英語では「パーペチュアルカレンダー」と呼ぶ。文字どおり「永久カレンダー」の意味だが、ロレックスだけは「パーペチュアル」を自動巻きの意味で使用しているので念のため。懐中時計では分銅が上下する動きでゼンマイを自動的に巻き上げる仕組みをブレゲが考案。フランス語で「モントル・ペルペチュアル(パーペチュアル)」=永久時計と命名していることが理由かもしれない。
本題に戻ると、永久カレンダーは、日付の送りはもちろん、小の月の月末もすべて自動で調整してくれる。それだけでなく、4年に1回しかない閏年の2月29日まで機械的にプログラムされているので、不注意で時計を止めてしまわない限り、日付関係のカレンダー調整が一切不要という大変に便利な機構だが、これもまたアブラアン−ルイ・ブレゲが1795年に発明した。
ただし、現行のグレゴリオ歴では閏年の例外年が存在する。西暦年数が4で割り切れる年は閏年だが、そのうち100で割り切れるが400では割り切れない閏年は平年になってしまうのだ。つまり2100年、2200年、2300年がそれにあたる。「永久カレンダー」では、この年の2月末は28日でなく通常の閏年である29日にしてしまうので、これを3月1日に調整しなければならない。その意味では必ずしも「永久」とは言えないのだが、現実問題としては遠い先の話であり、この時点まで存命でいられる人はほとんどいないのではないだろうか。
その一方で、さすがはスイス時計、グレゴリオ歴を完全に表示する永久カレンダーがないわけではない。これを「セキュラーカレンダー」と呼ぶ。腕時計で初めてこれを完成したのは独立時計師のスヴェン・アンデルセンといわれる。フランク ミュラーも「エテルニタス」として発表している。
「永久カレンダー」ではないが、年に1回、3月1日のみ日付修正が必要な機構を「アニュアルカレンダー」と呼ぶ。パテック フィリップが1996年に開発した。機構が簡略化されていることから、耐久性や整備性などに優れていると言われる。

③精緻(せいち)なアートオブジェとしての「トゥールビヨン」
ここまで紹介してきた2つのコンプリケーションは、時・分・秒という時計の基本的な表示に付加された特別な機構といっていい。ところが「トゥールビヨン」はこれらとは違って、機械式時計の精度を高めるために開発された。発明者は例によってアブラアン−ルイ・ブレゲ。「時計の歴史を2世紀早めた」とも評されるが、時計の機構や意匠を詳しく調べていくと、この言葉は決して誇張された表現ではないとわかってくる。
この「トゥールビヨン」は「渦巻き」を意味するフランス語であり、まさに時計の心臓部である調速脱進機を回転させることで重力の影響を平均化。それによって精度を維持する仕掛けだ。それなら腕に着用した時計もさまざまな姿勢になるので、ナチュラルなトゥールビヨン効果があると考える人もいるに違いない。まさにそのとおりで、この機構は懐中時計の時代に生まれた懐中時計のための機構なのである。スーツのベストの中などで直立する時間が長い懐中時計は、精度に直結するひげゼンマイなどを重力が下方に引っ張ることになる。こうした重力の影響を偏らせることのないように、ブレゲはガンギ車、アンクル、テンプで構成されている調速脱進機ごと回転させるという独創的なアイデアを発案。1801年にフランスで特許を取得している。
近年は平面だけでなく、2軸、3軸で立体的に回転するトゥールビヨンや、ひとつの腕時計に2つのトゥールビヨンを搭載したスーパーコンプリケーションも発表されている。こうした現代のトゥールビヨンは、高精度はもちろん、動くアートオブジェとしての価値も高いのではないだろうか。人間の心臓のように伸縮するひげゼンマイを背後に、テンプが往復振動を繰り返しながら刻々と回転していく。機械式時計ならでの醍醐味が感じられることが、実はトゥールビヨンの今日的な魅力かもしれない。

次回は海外旅行で便利なワールドタイマーなど代表的なプチ・コンプリケーションを紹介する予定。
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プロフィル
笠木恵司(かさき けいじ)
時計ジャーナリスト。1990年代半ばからスイスのジュネーブ、バーゼルで開催される国際時計展示会を取材してきた。時計工房や職人、ブランドCEOなどのインタビュー経験も豊富。共著として『腕時計雑学ノート』(ダイヤモンド社)。