旅と暮らし
日本料理 龍吟の山本氏、
受賞の喜びを語る~アジアのベストレストラン50
2019.03.13
今年で7回目を迎える「アジアのベストレストラン50」に新たなアワードが設けられた。その名も「アメリカン・エキスプレス・アイコン賞」。つまり、“美食の世界におけるアイコン”の座を確かなものにしたシェフに贈られる賞ということだ。長年の功績や、キャリア全体を通じて、外食産業に与える影響力などが審査基準になる。その第1回目を日本料理 龍吟の山本征治氏が受賞したことが、授賞式に先立って発表された。
――あらためて、受賞後の喜びの声を聞かせてください。
新しく設立された賞の、その第1回目に選ばれたということ、それもアジアのなかで評価されたということがとてもうれしいですね。まさに、香港や台湾に展開しているわけですから、象徴性を評価されたということは感慨深い。スタッフのモチベーションにもつながります。同時に責任の大きさを感じますね。龍吟という店に対しても、いらっしゃるお客さまに対しても。それも含めて、これからの原動力になると思います。
――受賞の理由として、想像力にあふれたアプローチで和食の新境地を開いたことも挙げられていますが、その点はいかがでしょうか?
確かに40歳くらいまでは、あらゆる可能性も試し、誰もやったことがないであろうアプローチにも積極的に取り組んできました。けれどいまは、日本料理を私物化してはいけないと考えています。料理というものはその国の豊かさを表現する、最も端的な手段です。なぜなら、料理の裏側にある伝統工芸や歳時、生産者など、日本文化の点を線につなぐことができるものですから。料理人の個を表現するのではなく、自然の声に耳を傾けることが重要と気づいたんですね。平たく言えば、DNAに逆らえなくなったというか。あれもこれもしたことがなかったからやってみたわけですが、やり尽くしたことで、その思いはなくなりました。
人間には大根ひとつ、鯛ひとつ、創り出すことはできない。考えるべきは、それら素材の優れた点をどう表現すればより伝えることができるのか、ということ。また、海外に何度も出るうちに、料理の背景を知らなければ、日本料理を継ぐ者にはなれないなと思いました。そのあたりが転換点です。結果的に、当時は独創性を求めて試した無数のアプローチに、素材の生かし方を学ぶことにもなったわけですが。
――六本木に龍吟をオープンして15年、日比谷に移転しての受賞。すごくタイムリーでしたね。
縁あって、日比谷ミッドタウンの7階に店を構えることになりましたが、皇居を眼前に望み、毎日、いい“気”をいただいています。六本木店は天皇誕生日にオープンし、今度はこちらで、新元号に変わる瞬間を体感することができるわけですから、こんなに喜ばしいことはありません。だからこそ、日本料理を継ぐ者として、自分の役割を果たさねば、という思いを強くしました。
ガストロノミーとは、食欲を満たす食事ではなく、和の精神を呼び覚ます食事と自分では定義しています。ですから、うちにいらしたお客さまには、日本の文化、そして本物の「日本料理」に触れることができたと感じていただければ本望です。
――ベストレストラン50の舞台では、なかなか、山本さんや「傳」の長谷川さんに続く日本料理の若手がいないのが現状ですが、エールをひと言。
多くの若手は、日々の商売だけで満足してしまっています。毎日満席で、ゲストを喜ばせ、スタッフも満足している、それ以上何かあります?といった具合に……。成功すれば、必ず社会的な責任も発生します。日本料理がいかに素晴らしいものであるかということを伝えることができなければ、日本料理は絶滅するわけですから。
夢を発信しなければ、若手に「自分もああなりたい、こうなりたい」と思わせることができません。そのためには、もてなす側から、時にはもてなされる側に回って経験を積むことが大切です。つまり、もっと食事をする経験を持ちなさいということ。
また、海外での食事経験も重要。日本がどのくらいの素材レベルを誇っているか、思い知ります。外から内を見て、輝く日本が見えて来るのです。そして、自分たちの文化に目を向けること。しょうゆすらどのように造られているか知らない人がほとんどですから。なんといったって、日本人として、本物を発信できるのは日本料理をおいてほかにないわけですから。
Photograph:Masahiro Shimazaki
Text:Hiroko Komatsu