特別インタビュー

株式会社星野リゾート 代表
星野佳路 インタビュー[前編]
[ニッポンの社長、イマを斬る。]

2026.06.22

株式会社星野リゾート 代表<br>星野佳路 インタビュー[前編]<br>[ニッポンの社長、イマを斬る。]

「教科書通りの経営」を貫き「星のや」「界」「OMO」「リゾナーレ」など国内外70施設超を展開してきた星野リゾート。合理性と現場との対話を重んじる四代目代表・星野佳路氏は自身が掲げる「70歳での引退」を見据え、次の100年をどう描くのか。

教科書通りの経営で日本の観光を世界へ

「経営者の実力って、結局はファシリテーションの差だと思っているんですよね。マーケティングやファイナンスは、専門家に任せればいい。チームの議論をどう前に進めるか。組織の力をどう引き出すか。自分の仕事は、そこに尽きると思っています」

1914年創業の軽井沢・星野温泉旅館を、事業を大きく広げてきた星野佳路はこう語る。重視するのは、直感ではなく「教科書通りの経営」だ。社員が意見を出しやすいフラットな組織づくりは留学時代に学んだ経営理論に基づくもの。新規事業に取り組む際はマイケル・E・ポーターなど指針となる教科書を傍らに置いてきた。四代目就任から35年。経営1年目の頃はもちろん、今も、スタンスは変わっていない。

「セオリーというのは効き目が保証された『薬』のような存在。直感に頼ると効果が出ないときに迷いが生じる。教科書があれば『待てる』。定石に沿っていれば、失敗の確率は確実に下がります」

私生活での星野は年間80日の滑走を目標に掲げる熱狂的なスキーヤーでもある。この日も自社で運営する「ネコマ マウンテン」での滑走後インタビューとなった。「経営者としてのピンチですか?実際にはあったのだと思いますが認識はないですね。しいて言えば、89年、入社半年で会社を追い出されたときでしょうか。最初に逆境を経験したから、その後の改革に一切の迷いがなくなったんです」

追放がもたらした経営の定石

星野は軽井沢の老舗旅館に生まれ、周囲から後継者と目されながら成長した。アメリカの大学院で経営理論を学び、新しい時代の経営者の仕事は社員のやる気を引き出すことだと学んだ。だが、1989年、実家の旅館に入社して直面したのは学びとは真逆の、ファミリービジネスの悪い側面である「公私混同」だった。

「経営の在り方として問題が大きかった。社員のやる気どころではなかったですよ」

星野は抜本的な改革を提言したが、創業家の反発を招き「追放」という形で解任されてしまう。入社からわずか半年のことだった。

「客観的に見れば大ピンチなんですけど、自分の行動に1ミリの矛盾も後悔もありませんでした」

会社に戻れないことを覚悟し、米国勤務時代の伝手をたどってシティバンクに職を得た。担当したのはリゾートホテルの不良債権回収業務だった。採算の合わない計画に巨額の資金が投じられ、破綻していく現場を目の当たりにした。

「理論通りに考えれば、うまくいかない理由は最初から明確です。でもそこに投資してしまう心理もある。そうした経緯を知ることは大変勉強になりましたし、正直おもしろかったですね」

結論を言えば、この後の1991年、星野は株主の後押しを受けて四代目社長として復帰する。当時の日本といえばバブル崩壊後で打ち捨てられたリゾートだらけ。シティバンクで不良債権を扱ってきたことも手伝ってその光景は強く印象に残った。会社の戦略として選んだのは、施設を持たず、運営に専念するという道だった。

「所有しない分、好調時の大きな利益は手放すことになりますが不動産リスクを回避できるメリットは大きい。軽井沢にいると浅間山が噴火することもあるわけですね。これだけで半年間は観光業の収益が下がります。逆に、自己資金を建物に投じなければ拠点を広げるスピード感は増します。利益の最大化を犠牲にしてでもリスクを抑えて成長速度を買う。これこそが、外資系チェーンと戦い、次の100年へバトンをつなぐための合理的な選択だと考えました」

ニッポンの社長、イマを斬る。_前編 1050_1

不動産所有はもうイヤなんです

とはいえど。運営特化を掲げてから、10年間は軽井沢から出なかった。運営の依頼もなければ人材がそもそも足りなかった。就職情報誌に200万円の広告を打ち、しかし、新卒応募者がゼロだったこともある。潮目が変わったのは「リゾナーレ八ヶ岳」「アルツ磐梯(現ネコマ マウンテン)」「トマム」と再生案件を立て続けに受けた2000年以降だ。老朽化した星野温泉旅館を全面改築し「星のや軽井沢」として再オープンしたのも05年のことだった。

「3つとも金融機関からの案件で図らずも所有リスクを背負わざるを得ないなか『星のや軽井沢』の改築休館も重なり、経営者として慎重な時期を過ごしていました。この局面を乗り越え再生を成功させたことで05 年のゴールドマン・サックスとの大型受託、そして13年の不動産投資信託『星野リゾート・リート』を上場させる足がかりが生まれました」

「星のや」「界」「リゾナーレ」に加え、その後、都市型の「OMO」や「BEB」など新たなラインも拡充した。 25 年には山のホテル「LUCY」も始動したが星野自身はブランドを増やすことには積極的ではない。

「ブランディングの観点では、サブブランドは少ないほうがいいんですよ。サブブランドを育てるのは大変ですし、ひとつ立ち上げると、長期的なコミットメントが必要になりますから」

とりわけ都市観光型「OMO」は迷いが大きかった。リゾートを主軸としてきた同社だけに都市部に進出することで既存ブランドへの影響も懸念された。

「観光客が最も訪れるのは都市なんです。軽井沢や箱根ではなく東京や大阪です。われわれの競争相手はマリオットやヒルトンなど運営特化型の外資系ホテルであり、都市部への進出は避けては通れませんでした。OMOの投入による星野リゾートブランドへの影響、そして他のサブブランドへの悪影響を最小限にするために、この時はデビッド・テイラー教授のブランドストレッチという論文を教科書にして戦略を立案しました」

<<インタビュー後編につづく

プロフィル
星野佳路(ほしの・よしはる)
1960年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、米コーネル大学で修士課程修了。1991年、星野温泉(現・星野リゾート)四代目代表に就任した。所有と運営を分離する「運営特化戦略」を確立し、2013年には星野リゾート・リート投資法人を上場。破綻した施設の再生を数多く手がけ、国内外70以上の施設を運営する規模へ成長させている。2026年3月時点で65歳。2029年の北米進出を目指す一方、年80日の滑走を掲げる熱狂的スキーヤーでもある。ファミリービジネスの理論に基づき、70歳での引退を公言している。

「アエラスタイルマガジンVOL.60 SPRING/SUMMER 2026」より転載

Photograph: Kentaro Kase Text: Mariko Terashima

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