特別インタビュー

サブスクリプション時代の所有と自由

2019.04.18

速水健朗

音楽、クルマ、家。かつてモノを手に入れることが自由を示すことにほかならなかった。所有が絶対ではなくなったいま、何をぜいたくと言えるのだろうか。

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2015年、世界の音楽産業においてデジタルの売り上げがフィジカルのそれを上回ったという。こんな言い回しで意味は伝わるだろうか? つまりCDの売り上げをネット配信が追い越した。それ自体は、驚くべきことではない。むしろ音楽CDを“フィジカル”と呼ぶのだということが気になった。

ストリーミングやダウンロードといった“物質”を伴わない手法が主流になりつつある音楽市場で、CDはいつしかフィジカル、つまり身体を伴うメディアと呼ばれるようになっていた。“フィジカル”という言葉を使うことへの違和感とは何だろう。「同僚がメンタルやられちゃってさ」という会話と違って「うちの夫がフィジカルやられちゃったのよ」という言い方は、日常会話っぽくないのだ。わざわざといったニュアンスが付いてくる。

“フィジカル”や“物質”に脚光が当たった時代があった。オリビア・ニュートン=ジョンは、自らレオタードに身を包み、エアロビクスダンスを披露したMVをつくり「フィジカルを体得しましょう」と歌った。マドンナは『マテリアル・ガール』という曲で全米ヒットチャート2位に。物質の女の子というのは直訳だが、現金払いの相手が理想の相手と歌う割り切った女の子のイメージだ。オリビアで始まり、マドンナが引き継いだ80年代のイメージは、資本主義のきらびやかなイメージそのものだった。そんな時代からしばらく経って、2001年に9・11の同時多発テロが起こり、リーマンショックが起こった。いや、そういったきっかけもあっただろうが、もっと大きな時代の流れのなかで、モノに執着しない価値観が広まりつつある。

反物質というのは言いすぎだが、例えば、シンプルライフ、オーガニックライフ、断捨離ブーム、これらは日米それぞれの差異はあれど、どれもがモノから逃れるという共通点を持った現象である。最新型のクルマを買うよりも、家で手作りのピクルスを漬けていることがぜいたくだと思いはじめている人々がいるのだ。

いまここでしているのは、かつてはモノがぜいたくだった時代があったという話ではない。かつては、モノを手に入れることが自由を示すことにほかならなかったという話である。

鈴木正文さんという僕の尊敬する編集者がいる。もともとは自動車雑誌の『NAVI』の編集者で、現在は『GQジャパン』の編集長だ。テレビなどにもよく出ている。正論を正面から言う半ズボンをはいているあの人と言えばピンとくるのではないか。

そのスズキさんは、いつも高価な服を着て、モーガンなどの飛び切り上等なクルマに乗っているのだが、彼は同時に共産主義者である。いまでも革命によって世界が共産主義化することが正しいと信じている。ぜいたくの愛好者でありながら共産主義者。傍からは一見矛盾するが、スズキさんの中に矛盾はない。むしろ、誰しもがぜいたくな消費の恩恵に預かることができる世界に胸を張っている。平等な社会は、世界同時革命によってもたらされることはなかった一方、さまざまなモノが大量生産などによって絶対的に安くなることで、実質的に社会はフラットになった。モノを持つことが、労働者の自由を示すことというのはそういう意味合いにおいてである。

スズキさんが、さまざまな高級車に乗りながらも同時に何度も乗り継いでいるクルマがある。シトロエン2CV。このクルマは、1968年のパリ五月革命のフィルムに登場する。2CVは、スズキさんにとっては自由と革命の象徴のような存在なのだ。

いまどきこの2CVを維持するのはたいへんである。故障もするし、最新型の自動車よりも燃費も悪いし、新車だろうが骨董(こっとう)車だろうが駐車場の料金は同じなのだ。自由の象徴とはいえ、不自由極まりない代物だろう。なんといってもフィジカルである。スズキさんがいまも2CVを所有しているかは知らない。現代において人がモノを手放すほうに、より自由を感じつつあるのは、端的に理にかなっている。モノを持つことは、そこから制限を受けることも意味する。マイホームでの定住よりも軽やかに移動可能な人生のほうが自由。フレキシブルに自分の場所を見つけて動ける人のほうが、仕事での成功可能性が高い時代でもある。

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2018年11月。トヨタが、2019年に自動車のサブスクリプション(定額利用料支払い)方式でのサービス開始を発表した。サブスクリプション方式とは、最新のITサービスがこぞって導入しているビジネスモデルである。音楽定額サービスのSpotifyに動画配信のNetflix。これらは、データはすべてクラウド(サーバ)上に保管されていて、端末には保存されないという特徴を持ったサービスである。デジタルデータですら所有しない時代。モノの所有が持つ意味合いも変わっていく。

自動車のサブスクリプションといった場合、一定額を毎月払えば、クルマに乗り放題ということになるようだ。具体的には、サービス契約者は、メンテナンスの費用を支払うことなくクルマが利用でき、好きなタイミングで好きな車種に乗り換えることができるのだ。クルマの所有にこだわる人たちがいなくなるわけではない。ただそれだけではもう商売は難しい時代になるということだ。

デジタルの対義語は、かつてはアナログだったがいまはフィジカルになった。もちろん、クルマの市場でフィジカルがデジタルに抜かれるという事態は基本的に起こりえない。人の身体を運ぶ乗り物がクルマである以上、フィジカルな存在であることは放棄できないからだ。

だが、いまのクルマはコンピュータによる安全技術によって制御されているという意味においても、これからネットへの常時接続、双方向の情報交換に伴ったサービスの普及をしていくという意味においても、クルマはフィジカルとデジタルのハイブリッドのモノになっている。現状、フィジカル70パーセント、デジタル30パーセントといった具合だろうか。その割合は、急速に変化するだろう。

いま一度、オリビアに立ち返る。あの時代、彼女があれを歌ったのは(本人にはもちろん意図はないとはいえ)絶妙なタイミングだった。ベトナム戦争にウォーターゲート事件。アメリカの人々は政府への不信や陰謀論に揺さぶられていた。そして、ヒッピー、オカルト、ニューエイジの精神主義的なものが蔓延(まんえん)していた。そこで彼女はあの歌を歌ったのである。

所有が絶対のものではなくなり、フィジカルの対義語が変化していく時代において、このオリビアのメッセージはまた別の意味合いを持ちはじめるだろう。この現代、ぜいたくについて考える上での大きなヒントを持つのが彼女の歌の歌詞だ。おそらく数年後、このメッセージが僕らの心にかつてなく強く響きわたるはずだ。「フィジカルを体得しましょう。フィジカルを得ましょう」

速水健朗(はやみず・けんろう)
ライター。1973年、石川県生まれ。パソコン雑誌の編集を経て、2001年よりフリーランスとして、雑誌や書籍の企画、編集、執筆などを行う。主な分野はメディア論、20世紀消費社会研究、都市論、ポピュラー音楽など。近著『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』『東京β』など。TOKYO FM『速水健朗のクロノス・フライデー』(毎週金曜日6時~9時)のパーソナリティーを務める。

※アエラスタイルマガジンVol.42からの転載です

Illustration:Akira Sorimachi

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